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プロフィール

井上義久

Author:井上義久
衆議院議員(公明党:比例区東北ブロック)富山県富山市出身
東北大学工学部金属加工学科卒業。

現役職:公明党幹事長

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7月17日(月)、私は常磐自動車道の宮城県区間、岩沼~山元間の4車線化事業着工式に出席し、あいさつしました。

常磐自動車道は、東京~仙台間を、太平洋沿いに結ぶ高速道路で、2011年度に全線開通を目指して工事が進められていましたが、東日本大震災により、中断。全線開通が叶ったのは2015年3月1日でした。
暫定2車線ではあるものの、東京~仙台間を東北自動車道と並んでダブルで結ぶネットワークとして活用されてきました。その後、太平洋沿岸の安定した気候や、線形の良さ等を理由に、一部の車両が東北道から転換するとともに、震災復興工事に従事する車両等により混雑や渋滞が発生するようになりました。
そのため、特に混雑する部分を先行して4車線化する工事が、復興・創生期間内の完成を目指して開始、福島県のいわき中央IC~広野ICが本年6月17日に着工。そして本日、宮城県の岩沼IC~山元IC間が着工されました。

私は常磐道が全線開通したことにより大きな経済効果が生まれているとともに、復興に大きな役割を果たしているとし、4車線化されることによって、渋滞緩和や更なる復興の加速に期待を寄せました。
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7月14日(金)、私は宮城県七ヶ浜町にある菖蒲田浜地区の復旧復興事業竣工式に出席し、あいさつしました。

菖蒲田浜地区は、明治21年に、東北地方初の海水浴場として開設され、長年親しまれてきました。しかし、東日本大震災で大きな被害を受け、海水浴場の閉鎖を余儀なくされました。
防潮堤などの復旧工事が進み、7年ぶりの海開きを明日に控えて、関係者50人ほどが集まり竣工式が執り行われました。

私は「犠牲になられた方々の想いを忘れずに、復興を進めていきたい」と復興への決意を述べました。
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7月12日(水)、私は公明党東日本大震災復興加速化本部の本部長として、国会内で東京電力福島第1原発事故の影響で全町避難が続く福島県双葉町の伊澤史朗町長と同町議会の佐々木清一議長らと会い、復興に向けた重点要望を受けました。

席上、伊澤町長らは、先の通常国会で改正福島復興再生特別措置法の成立を推進した公明党の取り組みに謝意を表明。その上で、復興財源の長期確保や、同法で定められた、除染やインフラ整備を集中的に行う「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)を設ける再生計画に対し充実した支援を求めました。

さらに、
①復興の先駆けとなる中野地区復興産業拠点の整備と企業誘致
②JR双葉駅周辺の生活拠点の整備
③計画的な除染の実施――
なども要望しました。

私は、一日も早い福島復興へ「しっかり取り組んでいきたい」と応じた。
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5月27日(土)、私は宮城県岩沼市で開かれた「第5回千年希望の丘植樹祭」に出席し、全国から訪れたボランティアと共に約3万本の苗木を植えました。横山信一参院議員、党宮城県本部の庄子賢一代表、伊藤和博幹事長(共に県議)、長田忠広市議も参加しました。

「千年希望の丘」は東日本大震災の震災がれきを活用して丘を造り、その上に広葉樹を植樹して防潮堤を築くプロジェクトです。30万本の植樹を目標にスタートし、今回を含め延べ3万人超のボランティアの手で苗木28万本が植えられました。

この日は、約4000人の参加者がタブノキなど21種類の植樹に汗を流しました。中学生の時に仙台市で被災し、今回初めて参加した専門学校生の樋口七瀬さん(19)は「苗木の成長が楽しみ。震災の教訓を未来に伝えていきたい」と笑顔を見せました。

植樹の後、私は「風化に抗い、千年先の命を守るプロジェクトだ。こうした取り組みをバックアップしていく」と語りました。
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4月2日(日)、私は東日本大震災からの復興が進む宮城県南三陸町を訪れ、3月に仮設から常設として再オープンした「南三陸さんさん商店街」を視察しました。党宮城県本部の庄子賢一代表(県議)、伊藤啓二・石巻市議、村上進・気仙沼市議が同行しました。

同商店街は、津波の被災跡地をかさ上げした場所に、飲食や鮮魚など28店舗が並んでいます。私たちは、住民や観光客で活気づく商店を一軒一軒見て回った後、「及善蒲鉾店」の店主で、志津川地区まちづくり協議会の会長も務める及川善祐氏(63)と懇談しました。

及川氏は、「多くの人が買い物に来やすい環境が整ってきた」と相好を崩す。さらに今後を展望して、及川氏は、「“新たな故郷”をつくる思いで、港町の良さや心意気を子どもや孫の世代まで受け継いでいきたい」と語りました。

この後一行は、佐藤仁町長に会い、復興の進捗状況に関して意見交換しました。

視察を終えた私は、「商店街がにぎわう姿は復興の象徴だ。さらなる復旧、創生へしっかりと支援していく」と述べました。

これに先立ち一行は、石巻市で井内水利組合(阿部富二夫組合長)から、被災した農地の取水方法について要望を受けました。
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3月25日(土)午後、私は岩沼市で行われた、岩沼海浜緑地の開園式に出席し、あいさつをしました。

岩沼海浜緑地は東日本大震災による津波で被災し、一時閉園。その後復旧工事が進み、平成27年度に南ブロックの利用が再開。そしてこの度、野球場やテニスコート等の運動施設を含んだ北ブロックが再開園となりました。
園内にある野球場で行われた開園式には、地元関係者や地元少年野球団などが参加。
私はあいさつで、開園したことに祝意を示すとともに「被災者の心の復興、人間の復興を成し遂げるまで寄り添い続ける」と決意を述べました。
3月11日(土)、東日本大震災から6年が経過いたしました。当時の状況や被災地の現在、そして今後の課題について語った、公明新聞にインタビューが掲載となりましたので、ご紹介させていただきます。



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目を閉じれば、あの日の惨状が浮かび、あらためて自然災害の脅威に戦慄する。

2011年3月11日午後2時46分。東京・永田町の衆院第2議員会館の12階にある事務所で、立っていられないほどの揺れに襲われた。「あの人は無事だろうか」。テレビの速報が震源を東北だと伝えた瞬間、胸が騒いだ。

「一刻も早く現場へ」。発災翌日、東京を出発。道路の寸断でなかなか進まない車中、はやる気持ちを抑え、初動対応に頭をめぐらせていた。

13日朝、最初に目にした仙台市の沿岸部は、想像を絶する地獄絵のように思えた。建物の上に転がる車、散乱する松の防風林、土台を残すのみの家屋……。避難所は、津波の襲撃から生き延びた男性、家族の安否も分からず泣き崩れる女性たちであふれ、深い喪失感に包まれていた。

経験したことのない試練を前に、徹して現場を駆け回っていたのが公明党の地元議員だった。自ら被災し避難生活を送りながらも救援に奔走し、「大衆とともに」の立党精神を体現する姿を心から誇りに感じた。

当時の民主党政権は、まさに心のない失政の連続。公明党は、与野党関係なく被災3県に担当国会議員を配置し、被災者の要望にきめ細かく対応した。“ネットワークの力”を駆使して窮状を政府に伝えながら、震災対策をリードしてきた自負がある。

自公連立政権となってからは、矢継ぎ早に政策を実行することはもちろん、被災地の司令塔となる復興庁や経済産業省に副大臣を送り出し、公明党は持てる力を発揮している。

震災6年の節目を刻んだ今、住宅再建や生業の再生、インフラ整備などは着実に進んでいる。とはいえ、いまだ約12万人の避難者がいる。避難先でのいじめも胸が痛む。住民の孤立を防ぐコミュニティーの再生や心のケアの充実に全力を挙げなければならない。

特に、福島の復興は緒に就いたばかり。これからが正念場だ。今春には、4町村で帰還困難区域を除き避難指示を解除する。帰還を希望する住民が安心して戻れる環境づくりが不可欠だ。同時に、風評と風化に抗い続け、一人一人が被災地を忘れないことの大切さを痛感している。

今年1月、宮城県の塩釜魚市場で行われた初競りに出向いた。復活を果たした市場の活気に気付かされたことは、たとえ甚大な被害に遭い絶望の淵に沈んだとしても、復興への強い意思を持って進めば、どんな災害も乗り越えることができるとの確信だ。復興は道半ばだが、必ずやり遂げなければならない。

公明党は誓う。悲嘆に暮れた被災者一人一人に寄り添い続け、心に希望の光を灯す「人間の復興」を成し遂げることを。そして、新生東北を創り上げるまで、闘い続けることを。
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3月4日(土)午後、私は宮城県名取市、山元町の復興状況を視察しました。党所属の国会議員、地元議員らが同行しました。

まず、私たちは名取市閖上で震災後に造成された水産加工団地を視察。福島県相馬市で被災した、いちまる水産有限会社の今野泰一代表取締役社長は「原料不足で本格操業ができない。福島沖の水産物の水揚げ拡大へ力を」と要望しました。同席した山田司郎名取市長は「復興へ向かう姿を見てもらい、心強い」と視察団に謝意を述べました。

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次に私たちは津波で壊滅的な被害を受けた山元町のいちご農家が設立した山元いちご農園株式会社を訪れました。

岩佐隆代表取締役は、いちご狩りやカフェ、「いちごワイン」を醸造・販売する6次化を展開してきた経緯を説明。「4人で始めた会社に43人が働いている。今後も若者の雇用に努める」と語りました。同行した齋藤俊夫町長は「農の力で復興をけん引したい」と話しました。

私は、「現場の声を受け止め、復興を前に進めたい」と決意を述べました。
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3月4日(土)午前、私は宮城県岩沼市で開かれた阿武隈川河口部復旧・復興事業完成式に石井啓一国土交通相とともに出席し、あいさつしました。

同事業は、東日本大震災で被災した阿武隈川の新浜水門の復旧と河口部河川堤防を7.2メートルかさ上げし、整備するもので完成は今月末の予定。仙台湾南部海岸堤防と合わせ津波防災体制の充実が期待されています。

式典の席上、石井国交相は「住民が復興を実感できるよう、一段と被災地の復興・創生の加速に力を注いでいきたい」と強調。

私は「着実にインフラ整備を前進させる一方で、被災者の心の復興、人間の復興を成し遂げるまで寄り添い続ける」と決意を述べました。
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2月25日(土)、私は宮城県東松島市で開催された「鳴瀬川河口部復旧・復興事業完成式」及び宮城県石巻市で開催された「北上川河口部復旧・復興事業完成式」に出席し、あいさつしました。

東日本大震災の津波により両河川河口部は、堤防の流出や水門の倒壊・破損などが発生。洪水期を迎える前に応急復旧として堤防を被災前の高さまで盛土を行った上で、2012年2月から本格復旧が始まり、震災から6年を前にした25日に完成を祝うに至りました。

私はあいさつの中で「着実にインフラ整備を前進させる一方で、被災者の心の復興、人間の復興を成し遂げるまで寄り添い続ける」と決意を述べました。