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プロフィール

井上義久

Author:井上義久
衆議院議員(公明党:比例区東北ブロック)富山県富山市出身
東北大学工学部金属加工学科卒業。

現役職:公明党幹事長

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5月16日(水)、私が本部長を務める、公明党東日本大震災復興加速化本部は、衆院第2議員会館で会合を開き、東京電力福島第1原発事故で立ち入りが制限されている帰還困難区域で再び生活できるようにする特定復興再生拠点区域(復興拠点)の整備状況について政府から説明を聞きました。

席上、浜田昌良復興副大臣(公明党)は、4月20日に飯舘村、今月11日に葛尾村の復興拠点の整備計画を政府として、それぞれ認定したことを報告。復興拠点を設置する方針の6町村の計画が出そろったと力説しました。

復興庁の担当者は、居住可能になる面積が帰還困難区域全体の約8%になるとし、各町村では順次、住宅の解体や除染が始まっていると述べました。

私は「故郷を取り戻したいとの思いが復興拠点という形で結実した。これをどう実現し、拡大していくかが課題だ」と指摘。党加速化本部として3月から4月に被災3県を調査したことに触れ、「コミュニティーの再生など、ソフト面の課題解決に力を尽くす」と強調しました。
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4月7日(土)、私が本部長を務める、公明党東日本大震災復興加速化本部は、福島県浜通り地域の復興拠点などで現地調査を行い、被災自治体の首長らと意見交換しました。高木陽介事務局長(衆院議員)や党福島県本部の若松謙維代表(参院議員)ら11人の国会議員が同行しました。

一行は、今も全町避難が続く双葉町を訪れ、2019年度末に再開を予定しているJR双葉駅の構内や駅前周辺を調査。意見交換で伊澤史朗・双葉町長は、駅前周辺の整備に時間を要する点を強調し、「残り3年となった復興・創生期間以降の支援のあり方について、公明党に議論をリードしてもらいたい」と訴えました。

また、昨年10月に営業再開したJR富岡駅周辺では、宮本皓一・富岡町長や富岡ホテルの渡辺吏代表取締役らと懇談。人手の確保や、にぎわいの再生で苦戦する実情を確認しました。

そのほか一行は、浪江町と飯舘村を訪問し、住民の帰還を促す環境整備について調べました。

私は、「復興は着実に進んでいるが、帰還促進などで課題もある。復興・創生期間後の国の支援体制も含め、党として対応を進めていく」と述べました。
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3月26日(月)、私が本部長を務める、公明党の東日本大震災復興加速化本部は、宮城県の沿岸被災地2市2町で現在、直面しているソフト面の課題を調査しました。私のほか、高木陽介衆院議員、真山祐一前衆院議員、公明県議らが参加しました。

石巻市で一行は、「がんばろう!石巻」の看板前で献花。看板を設置した黒澤健一さんから震災当時の体験を聞きました。また、震災の伝承活動を続けている「みらいサポート石巻」の中川政治専務理事は、“街の記憶”を残すため、元住民への聞き取りを行っていることを説明。「“あの日”住民がどう行動したかを映像化し、避難の教訓を伝えたい」と語りました。

続いて、被災者のアウトリーチ(訪問支援)を継続し、多様な専門機関との連携で心のケアにつなげる「からころステーション」を訪問。臨床心理士の渋谷浩太さんは、仮設から災害公営住宅への転居期である現在、「人間関係の再構築を迫られ、孤独や取り残され感を抱いている人が増えている」と指摘。その上で、「心の健康回復には、生活再建を前提に“見捨てない”ソフト面での支援が必要だ」と述べました。

また、同席した市健康部の職員からも、「昨年は本市の自殺者が増え、アルコールに伴う問題も多発している」との課題が報告されました。

視察後、私は、「被災者のニーズに応じた支援の必要性を強く実感した。今後は、軸足をハードからソフトへ重きを置いて、復興の最重要課題として精力的に取り組む」との考えを示しました。

なお一行は、気仙沼市、女川町、南三陸町を訪れ、二重ローン対策や子ども支援などについて意見交換しました。
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3月25日(日)、私が本部長を務める東日本大震災復興加速化本部は、岩手県の沿岸被災地4市2町を訪れ、復興の進捗状況と課題を調査しました。私をはじめ、魚住裕一郎参院会長、高木陽介、大口善徳、濱村進の各衆院議員、真山祐一前衆院議員、公明県議らが同行しました。

調査は、2020年度末で設置期限を迎える復興庁の後継組織のあり方を党として検討するとともに、今夏、与党として政府へ提出予定の復興加速化のための第7次提言に反映するのが狙いです。

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一行は、山田町の「まちなか交流センター」を訪問。店舗を再開したり、災害公営住宅に入居した住民と懇談し、生活環境や経済状況について話を聞きました。

釜石市では、野田武則・釜石市長の案内で19年に開催されるラグビーワールドカップの会場となる「釜石鵜住居復興スタジアム」の建設現場を視察。終了後、復興道路・復興支援道路の早期開通や職員派遣の増員などについて要望を受けました。

さらに私たちは、大船渡市で、かさ上げし再開発された商業施設「キャッセン大船渡」に赴き、客足が戻りつつある状況を確認。同施設の臂徹取締役は「にぎわいが持続できるよう利便性向上に努める」と話しました。

このほか訪れた被災自治体からは、「建設資材の高騰や職人不足で住宅再建が遅れ気味」(山本正徳・宮古市長)、「UターンやIターンの住民の住まい確保が難しい」(平野公三・大槌町長)、「復興特別法の延長など被災地域の現状に即した措置を」(岡本雅之・陸前高田市副市長)などの課題や要望を聞きました。
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11日(日)で東日本大震災から丸7年を迎えることを受け、私が本部長を務める公明党復興加速化本部は7日(水)、衆院第2議員会館で復興の現状と課題について政府からヒアリングを行いました。

冒頭私は、いまだ7万3000人が避難生活を送っている状況に触れ、「引き続き復興を加速させ、被災者一人一人が住宅や、なりわいの再建はもちろん、『心の復興』『人間の復興』を成し遂げるよう取り組む」と強調しました。

政府側は、津波で被災した水産加工施設の95%で業務が再開し、高台移転による宅地造成や災害公営住宅の整備といった住宅の再建は、今春までに9割が完了する見込みだと説明。東京電力福島第1原発の汚染水対策では、凍土壁によって一日の汚染水の発生量を約490トンから約110トンにまで減らしたと成果を紹介しました。

一方、今後の課題としては、被災者の心身のケアや公共交通の整備、訪日客を積極的に取り込んだ観光振興などを列挙。原発の風評被害を払拭するため、放射線に関する正しい知識の情報発信も強化するとしました。

出席議員からは、「農林水産業の振興に向け、販売戦略の支援を強めるべき」などの意見が出ました。
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東日本大震災の発災から3月11日(日)で7年を迎えるのを前に、公明党宮城県本部(庄子賢一代表=県議)は3日(土)、仙台市で私や山口那津男代表が出席して「みやぎ復興フォーラム2018」を開催しました。会合では、宮城学院女子大学の平川新学長の基調講演や有識者によるパネルディスカッションを実施。党所属の国会議員、地方議員と被災自治体の首長、民間支援団体の関係者などを交えて被災地の現状や課題、支援のあり方を議論するワークショップも行いました。

公明のネットワークで生業再建

あいさつに立った山口代表は、今後の復興加速について、「風化、風評と闘うこと、この二つの目標と抗いながら、われわれは進んでいきたい」と強調し、人間の復興をやり遂げる決意を力説。同日午前に震災遺構として保存されている旧荒浜小学校を視察したことに触れ、後世に震災の教訓を伝え、生かしていくことの重要性を訴えました。

発災から7年間の公明党の取り組みについては、被災自治体に担当の国会議員を置き、地元議員との連携を強化し、「被災地でやるべきこと、困っていることをつぶさに取り上げ、野党時代から政府を動かしてきた」と力説しました。

また、これまでの復興の歩みに関して山口代表は、漁港や道路、鉄道などインフラ面で復興は進み、災害復興住宅も計画の9割を超える状況にあると指摘。半面、生業や産業の再建では、地域や産業間で差が生じていると述べ、「こうした点をしっかり見据えて、復興支援に臨みたい」と述べました。

地域のつながり回復を
平川学長


一方、平川学長は「ひとりの力、みんなのチカラ」とのテーマで講演。希薄化した人や地域のつながりを回復するために、行政が果たす役割などについて見解を述べました。

この中で平川学長は、人口減少社会を迎える中、単身の高齢者世帯が増え、さらに町内会などの活動も弱まり、共同性が希薄化していると指摘。

特に、高齢化が深刻な震災復興住宅では地域の共同性を回復させる取り組みが重要だと述べ、行政主導で共同性を回復させるためのアイデアを出し、多様な選択肢を提供すべきだと語りました。



津波の脅威 忘れない
遺構の旧荒浜小を視察

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3日(土)午前、私と山口那津男代表は、東日本大震災の遺構として一般公開されている仙台市若林区の旧荒浜小学校を視察しました。これには党所属の国会議員、地元議員らが同行しました。

同市沿岸部にある旧荒浜小は、大津波で4階建て校舎の2階部分まで浸水。屋上などに児童や地域住民320人が避難し、救助された背景があります。

市は震災の教訓を伝えるため、昨年4月に校舎を震災遺構として保存・整備しました。

私たちは、市まちづくり政策局の松村光担当課長の案内で校舎内を視察。津波が校舎を襲った午後3時55分で止まった時計や、なぎ倒された鉄柵、天井板が外れたままの廊下などを見て回りました。

また地震発生から救助されるまでの経過を紹介する映像や震災前の荒浜の街の様子を伝える展示を観賞。松村担当課長は、「津波の恐ろしさを伝えるとともに、荒浜地域に暮らしていた人々の記憶も残していきたい」と語りました。

視察を終え、山口代表は「震災の教訓を伝え、災害を防ぎ、乗り越えていくことが大事だ」と話し、遺構を通じて防災への意識を高めていく重要性を強調しました。
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2月17日(土)、東日本大震災から7年の節目を控え、私が本部長を務める公明党の復興加速化本部は、東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の敷地内を視察しました。私のほか、高木陽介、伊藤渉、国重徹の各衆院議員、宮崎勝参院議員、公明県議らが同行。東電の廃炉・汚染水対策最高責任者である増田尚宏氏らが案内しました。

私たちは、3号機の使用済み核燃料プールに保管されている燃料の取り出しに向け、原子炉建屋上部を覆うカバーの設置工事を確認しました。カバーは高さ約18メートルのドーム型で、燃料を取り出す装置を風雨から守り、放射性物質の外部への飛散を防ぐもの。増田氏は「工事は順調に進んでおり、今月中には完成する」と述べ、2018年度中頃から燃料を取り出す計画を説明しました。

さらに私たちは、汚染水対策として1~4号機周辺の土壌を凍らせて地下水の浸入を防ぐ「凍土遮水壁」の運用状況も調査。凍土の制御を行う凍結プラントでは、土壌が均一に冷却され、汚染水が海に流出しないようにコントロールできている状況を確認しました。

このほか、敷地内で発生する放射性廃棄物を保管するため、新たに増設した「固体廃棄物貯蔵庫第9棟」なども見て回りました。

視察後、私は「軽装で作業できるエリアも広がり、困難な廃炉作業だが着実に進んでいることが分かった。引き続き、安全第一で取り組むよう求めていきたい」と語りました。
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12月15日(金)、私が本部長を務める、公明党の東日本大震災復興加速化本部と復興・防災部会(部会長=高木陽介衆院議員)は、衆院第2議員会館で合同会議を開き、政府から復興・防災に関する2018年度予算案の折衝状況や、被災者支援の状況についてヒアリングを行いました。

席上私は、東京電力福島第1原発事故の被災者に対する仮設住宅の提供や家賃賠償などが18年度末にかけて期限を迎えることに言及し、「被災者が困窮することなく生活再建を果たすため、今が正念場だ」と強調しました。

さらに私は、政府に対して、被災者の実情を踏まえた細やかな対策の実施を求めた上で、「東京電力に対しても、国や県、市町村が行う住宅確保支援など生活再建の取り組みに協力するよう指導すべきだ」と強く訴えました。

政府側を代表してあいさつした浜田昌良復興副大臣と、新妻秀規、平木大作の両復興大臣政務官(いずれも公明党)は、「しっかりと3人が連携して対応していく」と応じました。

会議の中で政府は、折衝が続く18年度予算案について説明。12日に政府が取りまとめた「風評払拭・リスクコミュニケーション戦略」に基づく新規事業として、放射線の知識を国民に分かりやすく伝える事業が入ったと紹介しました。被災事業者の二重ローン問題を解消するために国が設立した「東日本大震災事業者再生支援機構」への追加出資も盛り込まれたと述べました。

一方、政府は、災害公営住宅に一定期間入居した際、家賃が上がる人が出てしまう問題について解説。「入居収入基準を上回る人の家賃が入居後4年目から上昇」「低所得者を対象とした国の家賃補助が入居6年目から段階的に縮小」の2ケースへの対応として、入居収入基準の引き上げや家賃の減免を自治体が独自に行えるとして、被災自治体に対して説明を続けていると報告しました。

出席議員からは、「風評被害対策は幅広い世代に伝わるように工夫すべき」などの意見が出たほか、被災地の児童生徒の心のケアや学習支援を担うための教職員定数の加配について「被災地の要望通り、十分な予算を付けてもらいたい」といった声が上がりました。
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12月9日(土)、私は東日本大震災の復興道路として整備が進められている三陸沿岸道路で、宮城県南三陸町の南三陸海岸インターチェンジ(IC)と歌津ICの4.2キロの区間が9日、開通し、同日開催された記念式典にとして出席。お祝いを述べました。

席上私は、三陸沿岸道路の整備について「住宅と生活、生業の再建を後押しするため力を注いできた」と強調。その上で、「復興・創生期間の2020年度までに全線(仙台市~青森県八戸市の延長359キロ)が確実に完成するよう取り組みたい」と語りました。

同区間の完成により、同町内では、津波浸水区域を回避した上、大雨による通行規制も解消されることから「命の道路」として安定的な緊急搬送と高速ネットワークが確保されます。さらに、仙台市方面とのアクセスが向上し、隣接する気仙沼市と合わせた地域の基幹産業である水産業の振興と観光による交流人口の拡大などが期待されています。
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7月17日(月)、私は常磐自動車道の宮城県区間、岩沼~山元間の4車線化事業着工式に出席し、あいさつしました。

常磐自動車道は、東京~仙台間を、太平洋沿いに結ぶ高速道路で、2011年度に全線開通を目指して工事が進められていましたが、東日本大震災により、中断。全線開通が叶ったのは2015年3月1日でした。
暫定2車線ではあるものの、東京~仙台間を東北自動車道と並んでダブルで結ぶネットワークとして活用されてきました。その後、太平洋沿岸の安定した気候や、線形の良さ等を理由に、一部の車両が東北道から転換するとともに、震災復興工事に従事する車両等により混雑や渋滞が発生するようになりました。
そのため、特に混雑する部分を先行して4車線化する工事が、復興・創生期間内の完成を目指して開始、福島県のいわき中央IC~広野ICが本年6月17日に着工。そして本日、宮城県の岩沼IC~山元IC間が着工されました。

私は常磐道が全線開通したことにより大きな経済効果が生まれているとともに、復興に大きな役割を果たしているとし、4車線化されることによって、渋滞緩和や更なる復興の加速に期待を寄せました。